正倉院
奈良市の東大寺大仏殿の北西に位置し、高床の大規模な校倉造(あぜくらづくり)倉庫の正倉院。
聖武天皇・光明皇后ゆかりの品をはじめとする、天平時代を中心とした多数の美術工芸品を収蔵していたところです。
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| 正倉院 |
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もとは東大寺の正倉で、奈良時代以来宝物を収蔵してきた宝庫です
檜造り、単層、寄棟本瓦葺きで高床式に造られています
間口約33m、奥行き9.4m、床下約2.7m、総高約14mの大きさを持ち、
床下には直径60cmの丸柱が自然石の礎石(そせき)の上にどっしりと立ち並んでいます。 |
| 宝庫の扉 |
北倉・中倉・南倉 |
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内部は三室に仕切られ向かって右から北倉、中倉、南倉とよばれます。
北倉・中倉は主に光明皇后奉献の品が納めた蔵、その開閉には勅使(天皇からの使い)を必要とされていました
南倉は主に東大寺の什器類を納めており寺僧組織が管理するに改められました |
鑑真と戒壇院
鑑真の渡来
昔、聖武天皇の時代に、鑑真という徳高い僧がいました。
この人は、元々中国の江陽懸の人で、淳于という姓でした。
十六歳のとき、則天武后の時代に、知満禅師という僧について出家し菩薩戒を受け、竜興寺という寺に住み
彼はそこで戒律を長年を守り続け、老年に至るのでした
。
ある時、日本から仏法を学ぶために、栄睿(ようえい)という僧が来ました。
彼は鑑真に、日本には、経典はあってもそれを教え伝える人がいないと言い、鑑真に、日本に来ることを勧めるのでした。
そこで、栄睿とともに日本に渡ることとなりました
東大寺の戒壇
しばらくして、鑑真は、日本の薩摩に着きました。
大伴胡満(こまろ)という人に頼み、天皇に自分の渡来を奏上し、難波に着き
天皇はこれを聞き、大納言・藤原仲麿を遣わして、ここに至る経緯をききました。
丁度東大寺を造り、戒壇をたてて戒律を伝えようとした天皇は、喜んで鑑真を迎えたのでした。
その後すぐに、東大寺の大仏前に戒壇をたて、鑑真に、受戒の儀式を司らせ、天皇・皇后・皇子と戒を受けました。
次いで、僧八十人が戒を受けて後、大仏殿の西に、別に戒壇院を設け、様々な人が受戒したとされています。
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| 戒壇院 |
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| 現在の建物は享保18年(1733年)の再建されたものです。 |
| 戒壇院 |
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内部には中央に法華経見宝塔品(けんほうとうほん)の所説に基づく宝塔があり、
その周囲を四天王像が守っています。 |
鑑真のことば
身命を惜しまず伝法を志す
何(なん)ぞ身命(しんみょう)を惜(お)しまんや。
諸人(もろびと)行かざれば、
我即(われすなわち)ち去(い)くのみ
現代訳語
(仏法を広めるためなら)自らの体や命を惜しんでなどいられるものか。
誰も行かないのなら、私が行くだけだ。
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